2009 01/19
- 大阪慶應義塾跡記念碑と適塾
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先日の大阪出張に合わせて、1月11日に除幕されたばかりの大阪慶應義塾の記念碑を見てきました。大阪市中央区北浜町2丁目に設置された、白いペンマークの形をした碑で、正面に福澤の筆跡で「独立自尊」と刻まれています。大阪に慶應義塾の分校が置かれたのは明治6年の暮れでしたが、すぐに低調となり明治8年6月には閉鎖されてしまいました。その間、1度移転をしており、後半の塾舎の地が今回碑の建てられた場所です(最初の場所は不明)。
行ってみて驚いたのは、目と鼻の先に適塾があること。いうまでもなく、適塾は緒方洪庵が開き、若き日の福澤が青春を謳歌した蘭学塾です。徒歩2分ほどの適塾にも久々に足を踏み入れ、「ヅーフ部屋」や塾生が寝食を共にした大広間(写真下)などをしみじみと眺めてきました。
適塾に入門するとき、入門者が名前を記した「姓名録」は、今では日本学士院(東京上野)に収蔵されています。今回の福澤展で里帰りを果たし、大阪会場に実物が展示されます(東京、福岡では展示されません)。この帳面に最初に名前を記したとき、福澤は叔父の養子となっており記名は「中村諭吉」。そして、この筆跡が、こんにち確認されている福澤の最古の自筆筆跡です。この適塾の建物が残っているのは、まさに奇跡です。実物を見ながら、歴史に思いを馳せることが出来ることほど贅沢なことはありません。汚い天井の木材や柱が、きっと多くのことを知っているのだと思うと、なかなかその場を離れることが出来ませんでした。
福澤がここで過ごした時の様子は、『福翁自伝』に生き生きと描かれていますので、御存知の方も多いでしょう。手塚治虫の『陽だまりの樹』という漫画も、適塾の様子を福翁自伝のエピソードも織り交ぜながらユーモラスに描いています。身持ちの悪い適塾の同窓生として、福翁自伝の中に登場する「手塚」という人物が、『陽だまりの樹』の主人公の一人で、手塚治虫の曾祖父に当たる手塚良庵(のち良仙)です。手塚治虫も医師免許を持っていることや、『ブラック・ジャック』のリアルな描写には、適塾に学んだご先祖の血があるというのは、妙に納得できます。福澤が適塾に通い出した当初住んでいた中津藩の蔵屋敷(すなわち福澤の生誕地)と適塾付近の間は、昨年10月に京阪電車の中之島線で結ばれました。中之島線開業ポスターのキャラクターは、福澤に扮した笑福亭仁鶴さん(他に秀吉と五代友厚に扮したバージョンもあるそうですが)。コピーは「あの頃あったら、適塾通いも楽だった」。福澤は、中之島周辺のこのような発展も想像できなかったでしょうが、適塾の建物がこんにちまで残るということも想像していなかったでしょう。
京阪ポスターをご覧になりたい方は、こちらの中之島線のポスターのページ(下の方です)へ。

