2009 02/14
- 金印と福澤諭吉
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2泊3日の福岡滞在中、福澤展「九州バージョン」の情報収集のために、様々なところに行って参りました。もちろん、ラーメン屋ともつ鍋屋にも。「ああ、これも福岡に繋がっている」と思うことがいろいろありました。ちょっと面白い発見は、福岡市に属する志賀島で発見された、かの有名な金印のこと。福澤と金印がちょっと関係があったというと、何か思い当たりますか。
『福翁自伝』に、郷里中津での漢学修業について次のような一節があります。
「…最も多く漢書を習ったのは白石という先生である。そこに四、五年ばかり通学して漢書を学び、その意味を解すことはなんの苦労もなく存外早く上達しました。…それでひととおり漢学者の前座ぐらいになっていたが、いったいの学流は亀井風で、わたしの先生は亀井が大信心で、あまり詩を作ることなどは教えずにむしろ冷笑していた。」
この「白石」というのは白石照山という漢学者で、その「大信心」であった「亀井」というのは漢学者・亀井南冥・昭陽父子のこと。この2人は福岡の人で、父である南冥は、福岡藩に2つ設置された学問所の片方、甘棠館を任された人でした。この学問所がオープンした同じ月に、志賀島で発見されたのが「金印」。そして、発見されたばかりのこのナゾの印章を鑑定したのが南冥で、『後漢書』にある印であることをすぐに指摘。その歴史的価値を理解して、藩の中には鋳つぶすといった議論も起こる中、保存に取り組んだ、とのこと。
南冥はその後不遇な中に生涯を閉じますが、その学問は昭陽が継ぎました。そして、この父子の旧蔵図書や資料の一部は、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に所蔵されています。
どうでしょう。金印と福澤は、近いですか?遠いですか?
写真は、太宰府天満宮の牛と福岡タワー。

