2009 02/ 3
- 本日は福澤諭吉の命日「雪池忌」
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明治34年(1901)2月3日午後10時50分、福澤諭吉は東京三田の自宅で亡くなりました。今日はその祥月命日に当たります。いつからかは知りませんがこの日を「雪池忌」(ゆきちき)と呼びます。だいぶ前にこのブログで「三十一谷人」という福澤の落款印についてご紹介し、産経新聞の福澤展資料紹介(1月28日付)にも書かせていただきました。「雪池」というのは、「三十一谷人」を使い始めるより前に、福澤が雅号のように使っていた語です。
雅号というのは、ちょっと物知り顔をするためのものというニオイが、なくはありません。特に明治時代は、雅号が流行ったらしいですが、福澤は「野暮ぶる」人なので、こういうニオイに拒絶反応を起こします。もっともらしくいえば、雅号という習慣に権威主義的な気配を敏感に感じ取るのです。たぶん福澤は、「自分がひねくれば、誰よりも洒落た雅号を作れる」と思っているに違いないのですが、それを敢えてせずに、無粋を決め込むのです。
そうして作ったのが、名前の「ゆきち」を他の字に置き換えただけの「雪池」という語です。これを「ゆきち」と読むべきなのか、雅号のように音読みをして「せっち」とでも読むべきなのかさえ、よくわかりません。この語を刻んだハンコも残っていますが、ある時期に福澤は使わないことにしたらしく、表面が削られてしまっていて、今では捺しても字がよくわかりません。
さて、この雪池忌、毎年福澤の墓所である麻布山善福寺では、法要を修していただき、終日お参りの人が絶えません。今日私は昼頃参りましたが、慶應義塾幼稚舎の生徒がまとまって墓参に訪れた時間帯に当たり、ご覧の通り長蛇の列だったので、参道からのご挨拶だけで、失礼させていただきました。昨年は雪だったように思いますが、今日はポカポカ陽気で、例年以上に多くの墓参者があったのではないでしょうか。
今日は節分でもあります(写真は福澤研究センターにて)。明日からは暦の上では春。展覧会は、秋の気配が感じられる頃までの長丁場です。引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。


