2009 03/ 6
- 福澤諭吉と福澤先生
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いよいよ展覧会も最後の2日を残すだけとなりました。この展覧会の開催中、慶應義塾とは関係がない一般の方から、時々尋ねられたのは、慶應において福澤はやはり今でも「福澤先生」なのか、ということです。
御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、慶應義塾の公式な呼称では、今でも「先生」は福澤一人で、他はみんな文書上は「君」付け、呼ぶときには「○○さん」と言うならわしがあります。(といっても厳格なルールではなく、もちろん通常のように先生という言葉も自然に用いられていますが)
元慶應義塾長で、今上天皇の御教育参与を務めたことで知られる小泉信三は、慶應の人間が福澤を語る姿勢について、ある時期思うところがあり、「福澤諭吉と福澤先生」というエッセイを書いています。
「福澤の弟子でもない世間の人に向かって、先生が先生がというのは、やや世間見ずの学生の『お父さんが』『お母さんが』に類する(人に向かって家族のことを話すときに、そういう言葉遣いをするという意味――都倉註)ところはないか。それで少しもおかしくないというものもあるだろう。おかしいと思うものもあるだろう。私はおかしいと思い出したから改めることにした。……客観性学問性と先生という尊称とは相合わない。」
こうも書いています。
「思想史を忠実に学びまたは書くものが、幾多の思想家の中の福澤だけを『先生』として描くことは、実際に出来ない。特定の一人だけを先生として扱う態度をもって、客観的な記述や論評が出来ないのは言うまでもないことである……思考や判断の独立をとうとぶものは、その束縛から自由であることを、常に心がけるべきであろう。」
そうして小泉自身は、学問的に福澤を扱うときは「福澤」を使い、慶應義塾の人々と話したり、自分の直接の思い出を語るときは「福澤先生」を使いました。ただ、自分の中でルールを決めても、無分別に思われたり、慶應の人にあらぬ誤解を与えることもあったようです。
あるとき今上天皇(当時皇太子)と小泉がラジオ放送を行い、話題が福澤に及び、小泉が「福澤、福澤」と言いました。そうしたところ、視聴者の、おそらく慶應出身者から、「殿下の前だから福澤先生と言わないのか」という批判の投書が新聞に載りました。小泉はそれに対して上記の自分の中の区分を改めて説明しなければなりませんでした。
今では、一般の慶應出身者にもそれほど「先生」という敬称にこだわることはないでしょうし、私のいる福澤研究センターでも、学問研究の対象として福澤を扱っており、基本的には「福澤、福澤」と呼んでいます。
といっても、世間から見れば、所詮どっぷりと慶應の中の組織と思われることでしょう。それは慶應義塾の中に身を置き、あるいは慶應に入学した時点で宿命づけられておりますが、学問的・客観的に扱う姿勢には、常に厳しくありたいと思っています。今回の展覧会は、まさに福澤を「福澤」として展示する姿勢で作り上げたものです。
小泉は上記のエッセイの中でこう書いています。
「一般世間の人にはどうでもいいこんなことが、慶應の者にとっては一つの問題なのである」
まさに、その通りで、この問いにはこれからも悩まされ続けることと思います。
一方で、展示をご覧頂いて、福澤だけが「先生」であるというのは、福澤が望んでいたことなのか、という疑問を持った方もいらっしゃるのではないでしょうか。福澤は、偉ぶっている人も嫌いましたし、自分が特別視されることも嫌っていました。「僕は学校の先生にあらず…」と書いた手紙も展示しています。
でも、福澤を慕う塾生たちは、「先生」と呼ばずにはいられなかったので、福澤自身もこれだけは了解していたようです。最後には『時事新報』記事で自分が登場するとき、自分で自分のことを「福澤先生」と書いたとか(笑)。この点は言行不一致ということもできるでしょう。
どうですか。この記事もフェアに書いてますでしょう?

