2009 04/ 9
- 幻のユニコン展示計画と『学問のすゝめ』
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慶應義塾のマスコットに2匹のユニコンというのがあります。昔三田にあった大講堂という建物のバルコニーに設置されていた彫刻が由来です。写真の建物が大講堂。大正4年(1915)完成で、東大の安田講堂や早稲田の大隈講堂などにさきがけた大学の大型講堂であり、なおかつ東京で有数の文化施設でした。しかし大正12年の関東大震災で被災、大規模な修理の結果、姿が大きく変わりました。その時、バルコニーに取り付けられたのがこのユニコンです。写真は小さくて見にくいかと思いますが、震災後の姿で、バルコニーの1対のユニコンがおわかりになりますか?
この大講堂は、建築史上有名な曾禰中条建築事務所の設計ですが、なぜユニコンがつけられたのか、いまだにナゾとされています。だいたい、何をモデルにしたユニコンなのか…、ユニコンといえば、もっと壮麗な一角の白馬のイメージですし。ノートルダムの怪獣だという説もありますが、似てるといえば似てますが、真偽のほどは定かではありません。ユニコンという呼び方も、俗称でしかないのかもしれません。とはいえ取り付け後、このオス・メス(だといわれている)のユニコンは、塾生のマスコットとして愛されるようになりました。
しかし昭和20年(1945)5月の空襲で大講堂は全焼してしまいました。外壁はユニコンとともに残り、愛着ある大講堂の再建を、という声が高まり募金活動なども行われましたが、昭和32年、ついに取り壊されることになりました。この時ユニコンは、一緒に打ち壊すに忍びなかったのか、丁寧に取り外されましたが、なぜかそのまま近辺に放置されてしまいました。ちなみに大講堂の玄関にはまっていたプレート(森村豊明会と福沢桃介の寄付金による建築であることを記す)は福澤研究センターに保管されています。
その後、長年忘れ去られたユニコンに気づき、それを救ったのは慶應義塾中等部の美術の先生でした。2体のうち1体は損傷が激しく原形を留めていませんでしたが、まだ残っていた1体は欠けていた角などが修復され、中等部の玄関に設置されました(写真右)。 その後、失われた1体も復元(写真左)、現在中等部への来客をこの2体が出迎えてくれます。みなの愛惜やまない遺物が、なぜ長年放置されたのか、今日の目からすると、それこそがナゾですが、慶應義塾は歴史が長い分、得てしてこういったことに鈍感なように思われます。
現在でもユニコンはマスコットとして愛され、学内の各所で目にする機会があり、福澤展のグッズ売り場にもユニコン型のブックエンドが鎮座ましましています。実は、このユニコンの実物を展覧会に展示できないかと目論んだのですが、残念ながらしっかりと固定されてしまっているとのことで、移動できず断念することになりました。
とはいえ、今回福岡展では、同じように中等部の先生の熱意によって再発見された『学問のすゝめ』の版木をお借りして展示いたします。中等部の新入生には、この版木をかつて一度プロの刷り師の方に刷って頂いたものを複写(印刷)して配っているそうです。すり減った版木を会場でご覧頂くと、『学問のすゝめ』がいかに多く読まれたかがお分かり頂けると思います。



